jthirtyの日記

ちょっと待って

あがた森魚とズロースの共演!!
それは大事件なのだけどソコだけに興奮してるのも大人気ないのでソコに至るまでの僕の気持ちは省略。

ただただ嬉しいだけっす。

マーガレットズロースは渡辺勝の鍵盤を加えた四人編成で。
あがた森魚「蓄音盤」の“神様なんているのかい”をカバー。
いやあ、これはカバーなんて言葉で甘い形容じゃ足りないかもね。
どっちでもいい話なんだよ。

カバーに関する意義云々って話もあまり好きでないし、真似とかパクリとかそーゆーのも僕はどうでもいい。

あがた森魚ファンはこの曲を聴いてどう感じたろうか?
原曲知らないズロースファンはどう感じたろうか?
あがたさんとズロースの関係性に想いを馳せる人はどう感じたろうか?


最初は可愛い感じの曲だったのにどんどん激しい曲に変貌中の“パンツの歌”がいいね。
彼女の部屋から沖縄までが真っ直ぐに繋がってるなんて!
“引越し”もなんか不意打ちをくらった感じでホロリ。



あがたさんは新旧織り交ぜてのライブ。
8月の新作からの曲がよかった。
驚いたのは“サルビアの花”。
この間のいちかたいさんのライブで耳にしたばかりだったので尚のこと驚いた。
何故にこうも続いて?
(余談だけどその日いちかたいさんとあがた森魚やズロースの話をした)
あがたさん歌う“サルビアの花”は「君のこと好きなんだ」ってアルバムに入ってるけれど、
ライブで歌うのを見たのは僕は初めてだ。
今更説明する必要もないくらいの有名な曲。
偶然にも続けて「いちかたいとしまさ」「あがた森魚」の“サルビアの花”を聴いて改めて曲の強さってのを考えた。
当たり前だけど曲はもう世に放たれた時点で誰のものでもないような気がする。
色んな人に歌われていきながら曲は強さや色を増していく。
それをどうやって「捕まえるか」が歌う人にとっても聴く人にとっても大事なんじゃないだろうか?
例えば誰かの曲を歌う(カバーする)って行為がリスペクトっていう真鍮で生真面目な表現でなくてもいいってこと。
空の絵を描くのに皆が青色の絵具を使う必要はないし、空に見えなくてもこれが空だよって思えればそれでいい。
名曲は名曲でしかないだけのこと。


この間の日記であがたさんの言葉を引用したけど今日のライブでも同じことを言っていた。
「(色々あるけれど)もっともっと無邪気でいるべきなんじゃないだろうか。」って。

本当にこの言葉は胸に引っ掛かるんだなあ。なんだか。
言葉で説明するのは難しいけれど例えばあがたさんやズロースは音楽でそれを教えてくれる気がする。


アンコールはあがた森魚マーガレットズロース&渡辺勝

そして「君はハートのクィーンだよ」「大寒町」「大道芸人」

もう誰も文句ないよね?

あがたさんがズロースたちを「はちみつぱい!!」と紹介したのには泣き笑いです、ぼく。
夢みたいつーか、もう夢そのもの。


「〜生きてるうちがハナなのよー♪〜」