jthirtyの日記

ちょっと待って

スマイレージ三上寛

20代の頃は「アンチ」であり「サブ」であることに拘ることが自分なりの美学であったように思う。
美学と書くとかっこよすぎで、それはただ「逃避する場所」として自分の中に必要であっただけのこと。
共感よりも自分にどれだけ酔えるか、それはそれは脆くて不安定で何の根拠もない吹けば飛ぶよな何か。
それを必死に抱いていた。
水が溢れんばかりに入ったバケツを片足立ちでずっと溢さないように持っているような状態。
客観的に見れば笑ってしまうようなことだけど、そのことを笑うような奴がいたら許さないだろう。


30代はその反動で「アンチ」であり「サブ」であることを否定し、そうしたがる人たちを冷やかに見ていた。
メジャーであることを良し、とするのでなく、いつまでも何かアングラだったりサブカルだったりにしか価値観を見出せないものを嫌悪していた。
それはバケツで例えるならば、わざわざ溢れそうなくらいまで水を貯めないし、重たかったら台車にでも乗っけるとかそんな変化。
ややこしい性格、ひねくれもの、いやたぶんどうしようもなく単純な頭の構造をしているのだろうな。

40歳になった現在はどうかといえば、もうすべてが同じ視点で楽しめる、そんな境地におります。
すべて同等にラブ。
少なくとも否定から入ることに面白みを感じません。
全方位肯定。
面白いものを放っておくのは面白くない。
そんな状態なので楽しいのは楽しいですがお金と時間が足りないです。



三上寛

ヲルガン座で三上寛ライブ。

若かりし頃に古のフォークを遡って聴いていた者なので当然避けて通れない人である。
ただ熱心にCDを集めたり、家で頻繁に聴くことはなかった。
じっくりと生で聴くのも初めて。いつぞやのフジロックで少しだけ見たことしかない。
どこか「こわい」という思いが強く、何かの近寄り難さがあったのである。

しかし、今夜体験した三上寛は「やさしかった」のだ。

「やさしさ」という安易な形容はどうかとも我ながら思うけれど、歌そのもの、歌ってる姿、お客さんとの語らい、ステージから降りる姿、
それら全てから「やさしさ」を強烈に感じた。
特にMCでのガール椿の詩曲に言及するくだりや、終演後のガール椿との語らう姿。

色々と喜びを感じながらも、やさしさとはどれほどの孤独の境地まで至れば滲み出るものなのかと考えたら少しだけ怖くなった。

「負ける時もあるだろう」

素晴らしかった。

スマイレージ

渋谷クアトロでスマイレージのライブ。

アイドルグループです。

アイドルのきっかけは「ももいろクローバー」だけど実際のライブはまだ見たことがない。
広島に来ないんだからしょうがない。
いつか会えると思っている。

5月のクアトロで見た「東京女子流」は彼女たちのことが好きだからライブに行った、でなく広島で見れるから行ってみようというきっかけであった。
普通と逆の入り方かもしれないが、結果ライブをきっかけに大ファンになったのだからよかったのだ。
今回のスマイレージもそう。
貴重な広島でのアイドルライブ。
大ファンの人には申し訳ないが、まずはどんなか行ってみて確かめようという攻め方。

しかし、今までの人生で全く縁のなかった「ハロプロ」のアイドル。
平均年齢15歳くらい??
四人組だったのに一人メンバーが辞めて、サブメンバーが5人入って、でも一人すぐ辞めて、ってなんの算数?
握手会?おじさんが中学生と??

と不安要素はたくさんありました。

で、結果は?

感動です。
もう。
完璧なステージと鬼のような可愛さにやられました。ははは。
曲もいいし、それらの歌と踊りにまったくブレがない。弾けてる。
ミニライブということで1時間ほどだったのに「短いなあ」という不満も残らず、十二分に堪能させて頂きました。

肝心の握手会はなんだか分からないうちに終わってしまいました。
恥ずかしかった以外に記憶がないけれど、楽しさの余韻を握手によって増幅してもらったような感じです。
よく推しメンとかいって、みんな贔屓の子を決めてるけれど自分はそれがないのもよく分かりました。
ライブ中も「誰が一番好みか?」と考えながら見てましたが結局全員好きになってしまうんだな(保護者目線)。

あとファンの熱狂具合とセキュリィティの強固さは近年のロックのライブでもあまり見ないような雰囲気でした。


また見たい!!
今度はちゃんと曲を覚えていこうっと。