jthirtyの日記

ちょっと待って


●2月27日月曜日

2月27日月曜日、現在は22時40分。
次女(0歳)を寝かしつけて、二階の自分の部屋でパソコンを開いたところ。昨日の福岡で買ったボギー「青い春」を再生しながらこの文章を書いている。

昨年発売されたこのアルバム。最初は通販で買おうと思っていた。だけどなんか通販で買うのは勿体ない気がして保留。
その後、上京した際に立ち寄った高円寺の「円盤」で売っているのを見つけたけれど、やはりこのタイミングで買うのはなんか違うなと思い保留。
直接本人から買いたいなあとずっと思っていた。必ずその機会があるはずだから。

それが昨日叶った。それも福岡のVooDooLoungeで行われたボギーさんのイベント「ハイコレ」というベストなタイミングで。
遠藤賢司、ノントロッポ、マルツカ道のライブだ。2月26日、僕は一人で広島から福岡へ向かった。

この日に至るまで、この日に感じたこと、いっぱいいっぱいで整理しようとしてもしきれない。ならばもう全部、脈絡なく、思いつくまま、言葉のままに書いてみるしかない。

ボギーさんやヨコチンレーベル、ハイコレについて知ったのはいつだろうかと思い出してみる。多分、東京に住んでる頃で、OZディスクあたりからの流れだろうか。
まー、いつから知ったとかほんとにどうでもいいことだけどね。要はその頃はあまり興味がなかったということです。ふは!
で、その後は二階堂和美やpipinを知ってそこから「ハイコレ」を意識したり、「フィッシュマンズ・トリビュート」(名作!)を買ってノントロッポのCDを買ったり。
でも、まだまだそれほど自分の中では大きな存在ではなかった。「福岡に変な人がおる」というシンプルな認識のみ。

ボギーさんの存在が大きくなったのは極々最近の事で、それは広島ヲルガン座のイベントで初めてライブを見て、少し話をしてからのこと。
前後してmixiやブログを読んで、その濃すぎる熱量を初めて知ることになる。開催するイベント、それにまつわる諸々、人々、なんだこりゃという衝撃。
福岡行きたい、行きたい、行きたい!!!

うん、文章がなんかおかしくなってきたけど、このまま書きますね。一応、これでも普段は書き直したり校正したりするんですよ。だけど、今日はもうつらつら書くしかない。

で、福岡に行く機会をなんとか捻りだそうとしていたのですよ。
しかし現実には難しく、ボギーさんが毎回きっちり書いてる(これは凄いことですよ。最近書く人いないもの)ライブレポとかを読みながら歯ぎしりしてました。
すごーい、面白そうだーって。
そこに今回の遠藤賢司!!!うわー、どうしよう。広島に来るって話も聞かないし。行きたいよ。でも、そのニュースを知った時は「そうはいっても福岡だしな・・・」と諦めモード。



●思い出すこと

ボギーさんのことを思う時、やっぱり世代が近いのか(自分のが少々上だけど)例えばエンケンやらURCとかのフォークへの傾倒や、また岡村靖幸フィッシュマンズとかへの思いなど、共感することが多い。

自分の事を書く。
大学生の時にあの時代「フォーク」と呼ばれた音楽が続々とCD化されていった。中学生の頃はもうYMOだったわけで、フォークと言っても「神田川」とか「なごり雪」とかそんなもんだと思っていた。
中島みゆきやユーミンや長渕剛などが(当時)テレビの歌番組では歌わないと主張しており、なんてかっこいいんだと思っていた。

しかし、僕の知らなかった「日本の音楽」が存在することを10代後半に知ることになる。

遠藤賢司、友部正人あがた森魚、ジャックス(早川義夫)、高田渡西岡恭蔵三上寛、友川かずき、はっぴいえんどはちみつぱい・・・。



矢野顕子から「はちみつぱい」を知って、松村雄策さんの文章から早川義夫や遠藤賢司を知った。
これがフォーク??みんな全然違うじゃない。誰一人として同じ音楽をやってない。みんな自分一人がオリジナル。すごい自由で刺激的。
東京に出てきたばっかりで日本のインディーズや海外のスカム、ジャンクなどのややこしい音楽などにはまっていきながらも、同時に70年代の日本の音楽を色んな地図を頼りに聴くようになった。

昔の音楽だから、「これが名盤」と既に古典として代表作が色々紹介されていた。ものによっては大げさすぎるものもあったけど、20歳そこそこにはそれで十分刺激的でもうなんでも面白かった。
なので遠藤賢司も友部正人も歴史を学ぶような感じで最初は聴いていた。でも、ほとんどの人がまだ現役で歌い活動している!
自分みたいな若造に入る余地があるのだろうかと恐れながら色んなライブを見に行った。当然、「デビュー当時から聴いてるよ」みたいなおじさんおばさんがいて、若者がいると
「なんでこんなとこ来てるの?」みたいな視線に晒される。若いのに奇特ねー。緊張した。

と思ってた時代も遥か昔。あれから20年?エンケンさんも友部さんもあがたさんも聴き続きて20年経ったのだ。
自分もいよいよ凄いが、あの頃の人たちがまだ歌っていてくれてることが一番凄い。ものすごい大ベテランの大御所に見えたんだけどな。自分がもう41歳のおじさんになっちゃった。
60オーバーの凄い大人は更に凄いことになっていて、そして昔の自分みたいに若い子たちが何処かから必ずやってくる。
「なんで君たちみたいな若い子が?」と自分が思わず聞いてしまうようになったけど、そんなことが愚問なのは自分が一番よく知っている。敏感な耳や鼻には必ず匂いが届くの。



エンケンさんの新譜

エンケンさんの今年の新作「ちゃんとやれ!えんけん!」にやられた。暫くちゃんと聴いてなかったし、ライブも行ってなかったけど、今作には本当にやられた。
愚痴愚痴ごちゃごちゃしたとこが全然ないんだ。ただただ大きい音楽。すごい。

会いに行かなくちゃ。

エンケンさん65歳。
エンケンさんは100歳になっても歌っていそうだからまだ30年はライブが見れるだろう。・・・と思っていたらいつまでたっても会えないし、どうなるかなんてのは本当に分からない。
佐藤伸治やどんとにあんなに早く会えなくなるなんて思いもしなかったことだし、高田渡さんと西岡恭蔵さんには一度も会えなかった。また今度なんて思っていたんだ、どっかで。

東京に住んでる頃はエンケンさんのライブに何度か行った。凄かった。
だけど、広島にいるとなかなか機会がない。レコ発ツアーは関西でもあるけど、この福岡でのノントロッポとのが一番凄い組み合わせなんじゃないかと思った。
この組み合わせ、もとい「対決」を見逃したら後悔する。そう思ったのだ。直感で。徒にライブを見続けて何年も過ごしてるわけではない。その辺の直感には自信がある。



●こども

「ちゃんとやれ!えんけん!」を聴きながら、福岡行きたい!と鼻息を荒くしている頃、妻は臨月で大きなお腹に新しい命を抱いていた。
出産は2月2日予定。ほぼ女の子。長女5歳も妹の誕生を今か今かと待ちわびている。

そんな最中、2月26日に福岡でライブを見たい、というのは現実生活においては全然「ちゃんとやれていない」ってことである。
ちゃんとしてれば「残念だけど今回はしょうがない。涙をのんで諦めよう」と思う。

でも、思いが強すぎてどうしようもなくて、おまけに馬鹿だから「・・・行きたいんだけど・・・」と正直に告げた。
長女の世話を親に頼んだりとか諸々のことが解決できるなら行って来れば、わたしは別になにも言わないけど。と明らかに呆れたような顔でそう答えてくれた。
僕の性格はもう十分に知ってるはずである。どうしようもない人間だということも。単純な性格故、うまく段取りできれば可能ではないかと甘い期待を持ってしまって少しずつ計画し始めた。

2月2日に無事出産し、一週間ほどして母子共に健康な状態で我が家に帰ってきた。

晴れて四人家族となり、5年ぶりとなる赤ん坊との生活が始まった。そして、それは予め分かっていたことだが想像以上に大変なことである。
男の僕は、5年のブランクにあたふたしてるだけだけど、妻はその何百倍もきつい。それをきっちりとサポートしきれず不甲斐なく過ごす日々。
これで本当に福岡に行ってよいのだろうか?いくら馬鹿な僕でもさすがにそう思う。諦めてしっかりと側にいることが自分の「ちゃんとやれ!」だろうと。
「やっぱり止めるよ・・・」と告げたものの、でも心の中ではまだ迷っていた。なんてこったい。

この期に及んでまだ迷うのかい?

一週間、三日・・・と日が迫ってきて毎日「行こう!」「止めよう!」と自分の中で気持ちがひっくり返っていた。

そしてボギーさんに「急遽行けなくなるかもしれないけど予約お願いします」とメールをした。
前日にもう自分の中だけで「OK」にスイッチし、列車と宿を予約した。
「ちゃんとやれ!」をエンケンから生で直接浴びてくるしか「ちゃんとやれ!」はない、と自分勝手に納得した。


行くよ、福岡。