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jthirtyの日記

ちょっと待って

とりあえず試運転(仮)

●2016年10月26日 どうでもいい

●「Dance To You」

サニーデイ・サービスのアルバム「Dance To You」を聴いている。
昔、好きだった頃のサニーデイよりも、ソロアルバムよりも大好きで何度も何度も再生している。
音楽から香ってくるのは死の匂いで、その濃密さに倒れこんでしまいそうだけど、その匂い故に逆に気持ちは覚醒する。
死の匂い、というのは言い過ぎかもしれない。死から逃れたい気持ちと言えばいいのだろうか。

不惑。40代半ば。平成28年。



お客さんのKさんが先日亡くなった。
91歳。独り暮らし。奥さんは認知症で入院中。
お風呂場で倒れて亡くなっていたそうだ。

火曜日に息子さんからの電話でその事実を知る。

Kさんとの付き合いはまだ短く、夏頃からこちらに住みだし、時々僕の職場にやってきて色々対応することも増えた。
用事がなければ立ち寄ることはないけれど、ほぼ毎日会社の前を歩いて近くのコンビニに通っていたので顔を見ない日はなかった。確かに思い返してみれば月曜日は姿を見なかった気がする。こちらも毎日窓の外を眺めて暇してるわけではないので気付かない日もあるだろう。
先週の木曜日、窓口で僕は応対した。
金曜日、どうだったか覚えていない。
そして週末の二日間。


年齢も年齢だし、どこか頑固だし、正直接客してて快適ではなかった。
抑制ができないのか股間を尿で濡らした跡があったり、同じことを何度も説明しても通じなかったり。
それでもある程度やさしく接したのを好意に思ったのか、非常に感謝されたり、時折アイスを買って差し入れてくれたりもした。
ここに住み始めた理由は入院している妻のお見舞いへ通い易いからとのこと。もうこちらを見ても、ほとんど意識がなくまとまな返事も貰えないけど毎日通っているのだと話していた。
連れ添って70年余り、仲睦まじいなと感心していたら息子さんがそれは違うと僕に言った。親父が現役だったころはとにかく亭主関白で妻や息子である自分に対して愛情もなく、本当にずっと酷い目に遭わされ耐えてきたのだ。だから、今になって毎日お見舞いに通ってるのも優しさなんかでなくて、世間体の為、かっこつけてるだけなんだろうと。

第三者である自分には何とも言えない。

KさんはKさんで息子は自分のことを信用してない、そればかりか財産を狙って色々と裏で動いてると言い張る。

どちらが本当か分からないし、要は似た者同士な親子なのだろう。



●毎日

時々、死にたいなと思ったり、死にたいなと呟いたりすることがある。
そこまで深刻なものでもなく、疲れたな、しんどいなくらいの気持ちではあるが。
だから、そんな死にたいだなんて言葉を気軽に言うものでないとも勿論思うのだ。
だけど、つい口から出る。何ヶ月かに一度、色んな事に疲れ果てて溜息のように呟く。
一日に何度も、今自分がいる嫌で嫌で堪らない時間から抜け出したいだけで、死にたい死にたいなんて考えたりもする。


不謹慎さ、自己嫌悪、全てが混ざり合って最終的に自ら死ぬことなどなく、後悔の念とともにチビリチビリとまた生活になる。
自分勝手甚だしいけれど、そうやって思うことが自分で自分を励ましていることになっているのだろう。


しんどい時の対処法は色々ある。
阿呆みたいに寝てしまうこと。全部投げ出して。
泣いたり叫んだりはせず、ただひたすら拗ねて不貞腐れて不貞寝する。
音楽を聴く時もある。
無修正のエロ動画を見て、ああ生きてるなと希望を繋ぐ時もある。


でも、残念ながら本気で参ってしまってる時には音楽も騒がしく感じてしまい何も聴けなくなってしまうことが多い。

そんな状況でも聴くとの出来る音楽も少しはある。
聴いて直接的に元気になるような音楽じゃなくて、心が低空飛行しているのならそこから上がるでも下がるでもなく、そのままの状態で保てる音楽。気持ちの中の傷口を傷口のまま、癒しも治しもしてくれないけど微かな痛みを持続させてくれることが最終的には復活しやすい。


●音楽


早川義夫佐久間正英HONZI 「I LOVE HONZI

佐久間さんもHONZIさんももうこの世にはいない。

HONZIさんの演奏を知ったのはフィッシュマンズだったけど、彼女が参加している頃の演奏をライブで見たことはなかった。
その後、中川五郎さんと一緒に演奏されてるのを何度か見ることがあり、あ!あのフィッシュマンズで弾いてた!!と僕は感動した。

一度だけHONZIさんと飲んだことがある。
とあるイベントの打ち上げに混ぜて貰ったとき、その席に出演者であった彼女もいた。
お酒をグラスに注いでもらったりしたけど、打上げ中は緊張して話しかけることなど出来ず、明るい彼女の声をただ聞いてるだけだった。
お開きになって、終電間近の高円寺駅へと皆で小走りで向かってる時、僕は思い切って話しかけた。
共通の知人のこと、フィッシュマンズが大好きだったということ。
HONZIさんは「なんでフィッシュマンズ好きな人が、こんなアングラな場所に見に来てんの?」と笑っていた。

それだけの会話。
そして思うんである。また何処かで会う機会もあるのかなと。

早川さんとHONZIさんが一緒に演奏している時、僕はもう東京に住んでなかったし、見たい見たいと思ってるだけだった。
そう思ってる間に2007年HONZIさんは亡くなってしまった。

その後、僕は早川義夫さんのライブを広島で企画した。
ソロで・・・と思っていたら当時一緒に演奏をしていた佐久間正英さんも同行されることになった。
僕世代からすると佐久間さんはもう伝説の人である。あの四人囃子の、あのプラスチックスの、である。
エレカシくるりのプロデュースとか、所謂メジャーの舞台の人、直接同じ目線でお会いすることなんてないと思ってた人である。そんな佐久間さんの演奏を小さいライブハウスでリハーサルから拝見し、一緒の席で乾杯まですることになるとは。


そして数年後佐久間さんも病に倒れた。

この三人の演奏は前述のCDでしかもう聴くことができない。悲しいけれどいつでもCDで再生できる幸せもある。
色んな感情を刺激するアルバムで、間違いなく歴史に残る名盤だと思うけど、僕にとっては本当に救心的なお薬のような音楽。
時に効き過ぎるときもあるが、他のどんな処方箋よりも直接心臓に届くから、どうしようもない時に頼るのはこれしかない。

あなたの絶望なんて程度が低い、そんなくらいで沈んでたら私の絶望なんてどうなるの?と怒られそうで軽々しく絶望なんて言えない。じゃあ、希望なら全てが幸福かといえばそうでもなく、僕の希望なんてまだまだ甘く、薄ら軽いものかもしれない。
絶望とか希望とか金輪際どうでもいい問題かもしれないけど、時としてどちらかにすがりたくなるのも本音だ。

絶望と言えば昔、非常階段のJOJO広重さんが狭いライブハウスの密室に閉じ込められたお客さんに「絶望なんてまだまだ甘い言葉だ!」と言い放ち、ノイズを演奏し続けたと何かで読んで、わあ!なんて恐ろしい人だ、絶対見に行かないと心に誓ったものである。そんなこんなで意識的にライブに行かないようにしてたJOJOさんを初めて生で見ることになるのが去年のアイドルとの共演だったというのも趣深いが。



会いたい。

いつでも会える。

もう会えないかもしれない。


刹那。



●愛してる


大阪で二日間カントリー・ガールズ尽くし。
一日目はリリースイベント。二日目は握手会やチェキ会など。
一応、距離を保ち、節度をもってアイドルヲタクをやっているが、カントリー船木結ちゃんに関しては常軌を逸してる。
自覚がある。
30分程度のイベントとあっという間の接触イベントの為にカプセルホテルに宿泊し遠征する。頭がおかしい。
ライブ中に絶対目が合った。絶対こっち見た!なんて興奮気味に喋ってる自分。どう考えても頭がおかしい。

でも好き過ぎてもダメなんだ。頭がおかしいままの方がいい。結ちゃんを前に素になってしまうとどうしようもない。
ツーショットのチェキを撮って、CDジャケットにサインを貰って、手作りのプラ板を貰う。
その後、個別の握手会で5回握手をした。個別と言っても僅かな時間しか握れないけれど、普段のよりは少し長い。

何を話そう?あれは聞いておきたい!じ、じぶんのこと覚えてくれるかな??

頭の中はめっちゃくちゃ。

色々と思いは伝えたし、聞きたいことも聞いたけど心の中では空振り。何も握れていない。



当日、最後の握手にて。

僕「今日はこれで帰るね。」

僕「お願いがあるんだけど・・・」

結「なに??」

僕「関西弁で、えりぽんおじさん好きって言って欲し・・・い・・・んだけど」

結「・・・・・・」

あれ?ダメなお願いしちゃったかな(死にたい!)



結「(めっちゃ笑顔で)えりぽんおじさん好きやねん!!」


死にたい!死にたい!!死にたい!!!!!!!!!!!!!!!!



自分でふっておきながら動揺して何にも言えなかった。
ありがとう、ツアー行くねとどもり口調で言うのが精一杯。ちゃんと声になってたかもあやしいくらい。

勘違いかもしれないけど、ちょっと困ったような笑顔で見送ってくれた。
同情かな?本当に困ってるのかな?しょうがないおじさんだなって。

でも、一回バイバイって手を振ってくれて、更にもう一回こちらを見て最後ぎりぎりまで手を振ってくれた。


嬉しかった。



結ちゃん、好き。