jthirtyの日記

ちょっと待って

●3月24日(1)

ふらんす座へ。
仕事帰り、スーツで車で急いで広島へ。

「とにかく人の名前と顔の覚えが悪くてね」とイズミさんにカウンター越しに話をする。
まあ、実際にひどい有様なのだが、この日もお手伝いされてた女子の方、

「前にもお会いしたことありますよね?」

と終演後に問われるまで全然覚えていなかったという惨状。
確か前回ちゃんと名前まで聞いておいたはずなのにまったくの忘却の方向。
無礼を詫びつつ再度お名前をお聞きしたが今もう覚えていない。

頭が悪い。
ごめんなさい。



今夜はチバ大三さんライブ。
一年ぶりの再会。
何度か書いてるように大学時代の先輩である。
その某大学の某外れ者サークルでご一緒であった。
その恥ずかしくも恥ずかしい某サークルはまだ現存しており、やはり学内で奇特なサークルとして伝統を受け継いでいるらしい。
武蔵大学、CMA。


悲しいくらいにお客の少ない夜ではあったがライブは凄くよかった。
いつになく直球でズドンと射抜かれるような演奏と歌。
簡単に書くとシンプル。
それこそ初めて見たのはもう20年以上も前のこと、その時々で色んなチバさんを見てきた。
で、身も蓋もないことを書けば、チバさん自身でなく、チバさんの音楽そのものにはいつもどこかとっつきにくさを感じていたのだ。

かっこいいと思ったり、感動したりと色々あったけど、どこか難しいなあと思っている自分がいた。
それは自分の経験が足りんのか、まだ勉強不足なのかとも思ったりした。
でも、今日はそんな余計な事を思う間もなく、こっちに向かってきた。

20年経って、やっと自分も成長したのか?
そんなはずはない。

チバさんの歌が変わったのか?
そんなのは分かんない。

ただただ、瞬間で「いい!」と響いて、大胆さと実直さが喧嘩しながら仲直りしているような感覚。
広くないふらんす座の空間が広いと感じてしまうほどの余白を残してしまうくらいの人の少なさにもなぜか勝ち誇ってしまいたい自分がいた。
勝利したのは自分ではないのにね。


どうも昔の印象が強いのか、僕が車を運転し広島にやってきたというだけでチバさんは驚く。
音楽のことや文章以外では最強に不器用な、という当時の姿からは想像できないということだろうか。
そりゃ免許取ったのは34歳だけども、車くらい運転しますよー、先輩!

と応対しつつも、いや全然変わってない、不器用なまんまだなと思い内心暗くなる。
子供の頃も、学生の頃も、今も昨日も今日も、変わらず全てが不器用で言いたい事も言えないこんな世の中だ。



まあ、待て。

変わってないことに何の損があるだろか?

チバさんこそ変わってない。
20年経ったが初めて会った時の印象と全然変わってない。

まあ、人のことはともかく。

成長したり、器用になったりした部分もあるだろう。少しは。

でも、変わらないわ。なんにも。
弱点も欠点もすべてそのまんまでいいわと思う。
一生、自分の身についてまわって構わない。
愛しいとすら思うよ、自分で自分のことが。


開き直りではないよ。
笑うけど。

不器用で頭悪くて間が悪くてさ、しゃべれないんだよ、ちゃんと。
相手に伝わったか不安で不安でしょうがない。
でも、なんとかしなきゃと思うと、頭を置きっぱなしにして走るから訳わからんだよね。
人からみたら。いや、自分でも訳わからない。
「わあ、ダメじゃん、ダメじゃん!」と自分の頭上から心配しつつ放置しているもう一人の自分がいる。


変わらんでいい。成長しなくていい。

皮肉ではないよ。

変わることも大事で成長することも大事で変わらない出来事など存在しないけど。
でも、「変わるわけない、だけど大丈夫」と踏ん張る力も必要なんよ、バカはバカなりに。多分。


終演後、打上げという言葉とはちょっと違うようでいて、一応は打上げかなという時間が少し。
広くないふらんす座の隅っこのテーブルでイズミさんやチバさんもいれて6人で小さくなってあれやこれやと雑談。
ヲルガン座でも似たような時間はあるけど、他のお客さんもいたり厨房の音や人の出入りもあったりして、また違った光景になる。
白い空間を閉めてちっちゃくなって少ない人数でわいわい喋ってるのに周囲がしんとしてるのがかわいい。
ふらんす座は二回目だけど、なんかいろんな使い方が出来そうな面白い空間だと思った。



帰り道、高速を走りながら月を見た。
きれいな月だなあと何度もチラチラ脇見をした。
高速を運転中の深夜、ふだん景色など気にすることないのに珍しく視界に月が入ってきた。
その月がきれいだった。





●3月24日(2)

長い日記を書きながらどこまで自分は書いているんだろうと思う。
それは長い日記だけでなく短いつぶやきも人を前にして喋るときも何気ないメール作成の時も同じだ。
上手に言いたい事が書けてない喋れてない。

ような気がする。

そして、どこか言葉を濁しているか小賢しくごまかして嘘を書いてるんじゃないかとも思う。


ほんとうのことを書いてどうするの?ほんとうのことが相手に伝わってどうなるの?

長い日記も短いつぶやきもどもってしまう喋りも焦って送信したメールもいくら取り繕っても全て同じ。
なにをしてもそこにはほんとうのことしか表せない。
繊細さも遠慮も欠片もない。
明るくも暗くもない。


それ、でしかない。
たかが、それ。

と思っている。



当たり前なのかもしれないが、今自分が書いたこと、しゃべったこと、はもう今の自分100%に間違いない。
と思うようにしている。

何か言い足りなければ更に言葉を重ねる。無駄になってしまうかもしれないけど。

それ以上言葉が出てこなかったら、その日はそれまでだったというだけのこと。




手帳に「もっと品の無い言葉でもっと品の無いことを書きたい」と書いてあった。