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先日急逝されたNさんの「お別れ会」に父と共に出席。
お葬式はしないで欲しいとの故人の意思によりあくまでも「お別れ会」。
場所はお台場にある「船の科学館」。
晩年ここから船医として何度も大海原へと出かけていったそうだ。
海が大好きだったそうだ。
出席者も喪服でないし、レストランでの立食パーティーで最初はあまり悲しい気分にならなかった。
でもいくら笑顔で見送っても死んだ人は死んだのだ。悲しくてしょうがないのだ。
生前テレビに出演した際のビデオが上映される。
いたずらっ子みたい。大はしゃぎ。
会場からは笑いがこぼれる。
亡くなる直前に行った公演のテープが流される。
今だからそう思うのかもしれないけれど、どこか声に覇気がない。しんどそうだ。
友人による死に至るまでの状況が報告される。
Nさんも医者であり、友人も奥さんも勿論医者である。
それだけに淡々とそして冷静に経過が語られる。
現実って悲しい。ドラマにはならない。やりきれない。
Nさんがよく通っていたお店(大酒飲みだったのです)で演奏していた人の追悼演奏。
誰もが知ってるあの曲だけど、演奏は歌なしのインストで。
言葉って邪魔だな。湿っぽくなっちゃうから。言葉がなくて本当によかった。
遺影の下に愛用品が色々と並べられていた。帽子に煙草にメガネ…。
父は手帳を手にとって「そういえば今年新しい手帳に変えたって言ってたな…」と
まだ全然使い込まれていないその手帳をじっと眺めていた。
僕はNさんが今まで出版した沢山の本を手にとって眺めた。
そういえばきちんと読んだことはなかった。遅くなったけど色々読んでみようかな。
前にも書いたように僕は一度もNさんに会えなかった。
今年最初に催されてた写真展に行ったのだけどたまたま不在で、名前と住所と書いて帰ったら
後から丁寧なハガキが届いた。
これからいつでも会えるかな。色々話を聞いてみたいな。何にも疑っていなかった。
けれど僕とNさんの関係は今となってはそのハガキだけだ。
そして今日やっと本人と会えた、そう思っている。
父と二人で新橋で色々話す。
聞きにくかったことについても思い切って聞いてみる。
少し驚いたけど、嬉しくもあった。色んな血が流れているのだから。